横浜地方裁判所 昭和47年(ワ)685号 判決 1978年7月26日
原告 鈴木たけ ほか一名
被告 国
訴訟代理人 柴田次郎 木暮栄一 白井文彦 酒井義昭 ほか四名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一原告らの請求の趣旨、これに対する被告の答弁、原告らの請求原因、これに対する被告の認否、被告の抗弁、これに対する原告らの認否は、すべて別紙準備手続の結果の要約中当該各記載のとおりである。
第二証拠<省略>
理由
一 旧横浜市南区六ツ川町字大丸一二三七番山林六反九畝二三歩(以下「本件一二三七番の土地」という)がもと塩尻の所有であつたことは当事者間に争いがないところ、<証拠省略>及び調査嘱託の回答によれば、被告は、塩尻に対し、本件一二三七番の土地のうち五反六畝〇三歩について自創法(昭和二一年一〇月二一日法律第四三号)三条の規定により昭和二三年七月二日を買収の時期と定めて買収処分をなしたうえ、桜に対し、右五反六畝〇三歩のうち二反八畝一五歩(以下「本件二反八畝一五歩の土地」という)について同法一六条の規定により同日を売渡の時期と定めて売渡処分をなしたことが認められる(買収の時期及び売渡の時期を除き、被告による塩尻に対する右買収処分及び桜に対する右売渡処分の事実は、当事者間に争いがない)。
桜が昭和三二年一一月一七日死亡したので、相続により原告鈴木たけが妻として三分の一の、原告鈴木伸作が子として三分の二の各割合で桜の権利義務を承継したことは、当事者間に争いがない。
二 原告らは、桜が自創法一六条の規定により売渡を受けた本件二反八畝一五歩の土地は本件第一ないし第七土地であると主張するので、この点について判断する。
1 地方税法(昭和二五年七月三一日法律第二二六号。公布施行時のもの)三四三条は、固定資産税は固定資産の所有者に課する(一項)、前項の所有者とは、土地については土地台帳もしくは土地補充課税台帳に所有者として登録されている者をいう(二項)、自創法三条の規定によつて国が買収した農地については、同法二一条の規定によつてその所有権が売渡の相手方に移転した日以後、当該売渡の相手方が土地台帳に所有者として登録される日までの間は、その売渡の相手方をもつて一項の所有者とみなす(五項)と規定しているところ、<証拠省略>は横浜市南区長作成に係る昭和二六年度の固定資産課税台帳(土地)登録事項証明書であり、<証拠省略>は昭和三一年度のそれであるが、右各証明書には、いずれも所有者として桜の氏名が、土地として本件第一ないし第七土地が、摘要として補充課税台帳登録ということがそれぞれ記載されていることが認められる。
その他、原告らの前記主張に副う証拠として、<証拠省略>がある。
2 しかし、原告らの前記主張に副う<証拠省略>は、以下認定の事実関係に照らしてにわかに措信できず、その他原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はなく、却つて、後記認定事実によれば、本件二反八畝一五歩の土地は本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地であることが認められる。
(一) 本件第三ないし第五土地、第七土地が本件二反八畝一五歩の土地の一部であることは、当事者間に争いがない。
前記一認定事実に前掲<証拠省略>、調査嘱託の回答及び弁論の全趣旨を総合すると、被告は、自創法一六条の規定により、昭和二三年七月二日を売渡の時期と定めて、喜作に対し塩尻から買収した前記五反六畝〇三歩のうち二反三畝の、金子に対しうち四畝一八歩の及び桜に対しうち一反三畝一五歩と一反五畝との各売渡処分をなしたのであるが、右各処分に関する売渡計画は、横浜市港南地区農地委員会(その後、これは横浜市南区農地委員会に、更に農業委亘会等に関する法律《昭和二六庫三月三一日法律第八八号・同日施行》施行後は横浜市南《区》農業委員会に変更された。以下「本件委員会」という)により、喜作に対する右二反三畝、金子に対する右四畝一八歩及び桜に対する右一反三畝一五歩については昭和二三年七月二日に、桜に対する右一反五畝については同年一二月二日にそれぞれ樹立されたこと、本件一二三七番の土地について、昭和二四年八月二四日に右買収・売渡の対象とならなかつた一反三畝二〇歩を旧横浜市南区六ツ川町字大丸一二三七番一山林一反三畝二〇歩とし、その対象となつた五反六畝〇三歩を同番二山林一畝一五歩、同番三山林一畝一五歩、同番四山林一畝一五歩、同番五山林三歩、同番六山林二畝、同番七山林三畝、同番八山林三畝、同番九山林三畝、同番一〇山林一畝一五歩、同番一一山林一畝一五歩、同番一二山林七畝、同番一三山林一反七畝一五歩、同番一四山林三畝及び同番一五山林一反(以下、本件第一ないし第九土地以外は「一二三七番……の土地」という)とする分筆の届出が神奈川県知事からなされ、同年一一月一日に各分筆がなされたことが旧土地台帳に登録されたこと、その分筆図(旧公図)は別紙図面(二)記載のとおりであること、一二三七番五、同番八の各土地は金子が売渡を受けた前記四畝一八歩の一部であり、一二三七番七、同番一二、同番一五の各土地は喜作が売渡を受けた前記二反三畝の一部であることがそれぞれ認められる。
(二) <証拠省略>によれば、本件委貝会においては、自創法の規定により農地の売渡をうけた者が供出義務が重いこと等を理由に当該農地についての耕作を放棄する例があつたことが認められ、また、本件第三ないし第五土地、第七土地が桜において被告から自創法一六条の規定により売渡をうけた農地であることは前記(一)のとおりであるところ、<証拠省略>によれば、桜は、本件一二三七番の土地が前記(一)のとおり分筆された後である昭和二五年夏頃本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地(合計二反八畝一五歩)について耕作放棄の届出を本件委貰会に提出したこと、そこで、喜作は、同年一一月二四日本件委員会に対し右各土地を自ら耕作することの承認申請をなして、同年一二月一八日農地調整法施行令二条二項の規定によりその承認を得、次いで、昭和二六-七年頃本件委員会に右各土地の買受の申込をなしたことが認められ、<証拠省略>中右認定に反する部分は措信せず、他に同認定を左右するに足りる証拠はない。
(三) 後記三2(四)の事実に<証拠省略>を総合すると、金子は、昭和二三年七月二日前記四畝一八歩の土地について自創法一六条の規定による売渡をうけたが、それ以前から一二三七番五、同番八の各土地の外に本件第六土地(合計四畝一八歩)を塩尻から賃借し耕作していたこと、右売渡処分が本登記簿に記載されていなかつたところ、昭和三一年九月二〇日一二三七番五の土地を旧横浜市南区六ツ川町字大丸一二三七番三畑三歩(以下「新一二三七番三の土地」という)、一二三七番八の土地を同所一二三七番四畑三畝(以下「新一二三七番四の土地」という)、本件第六土地を同所一二三七番六畑一畝一五歩(以下「新一二三七番六の土地」という)とし、新一二三七番三、新一二三七番四、新一二三七番六の各土地につき金子のために自創法一六条の規定による政府売渡を原因とする所有権保存登記が経由されたことが認められ、<証拠省略>中右認定に反する部分は措信せず、他に同認定を左右するに足りる証拠はない。
(四) 前記(三)、後記三2(四)のとおり、白創法の規定により買収・売渡のあつた前記五反六畝〇三歩について、昭和三一年九月二〇日別紙図面(三)記載のとおり新一二三七番二ないし七に分筆登記されたうえ、新一二三七番二、新一二三七番五、新一二三七番七の各土地は喜作に、新一二三七番三、新一二三七番四、新一二三七番六の各土地は金子に各所有権保存登記が経由されたものであるところ、右のような登記は、桜が木件第六土地の、金子が本件第八土地の各売渡処分をうけていないことを前提にして行なわれたものであることは、別紙図面(二)と同図面(三)の各地番を対照すれば明らかである(すなわち、同図面(三)に表示された一二三七番三、同番四、同番六の各土地が、それぞれ同図面(二)に表示された一二三七番五、同番八、同番一一に該当し、同図面(二)に表示された一二三七番三《本件第八の土地》に該当しないことは、両図面上における各土地の位置・形状に照らし明らかである。)。
従つて、本件第六土地が本件二反八畝一五歩の土地に含まれることは否定されるけれども、本件第八土地が本件二反八畝一五歩の土地に含まれることは否定できないものと言い得る。
(五) 土地補充課税台帳は、土地台帳に登録されていない土地で課税対象となるものにつき市町村長が所有者の氏名土地の地番・地目・地積・価格等を登録する帳簿であるところ、本件第一、第二土地、第六土地の合計面積と本件第八、第九土地の合計面積とが等しいだけでなく、<証拠省略>によれば、本件委員会は、自創法による農地改革事業の管轄区域が他の委員会に比べて広範であるだけでなく、一筆の土地の一部につき買収計画・売渡計画を定める必要のある土地が多いため事務量が多く複雑であつたことから、事務処理に円滑さを欠いたり間違いのあつたことが認められるから、本件委員会を調査して作成されたであろう桜についての土地補充課税台帳の登録事項に誤りが入り込む可能性があることは否定できない。
従つて、右公簿上の本件第一ないし第七土地が桜の所有として記載されているからと言つて、本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地が本件二反八畝一五歩の土地に該当することを認定する妨げとはなり得ない。
三 被告は、本件第三ないし第五土地、第七土地について被告が自創法二八条一項の規定により先買権を行使して桜から買取つたうえ、同条三項の規定により右各土地を喜作に売渡したか、あるいは譲渡令二条一項三号の規定により右各土地を譲受けたうえ、自創法一六条の規定により右各土地を喜作に売渡したと主張するので、この点について判断する。
1 自創法二八条は、一六条の規定による農地の売渡をうけた者が当該農地に就いての自作をやめようとするときは、政府は、命令の定めるところにより、その者に対して当該農地を買取るべきことを申入れなければならず(一項)、右申入れの時に当該農地の売買が成立する(二項)ので、遅滞なく自作農として農業に精進する見込みのある者に当該農地を売渡さなければならない(三項)と規定している。
他方、譲渡令(昭和二五年九月一一日政令第二八八号・同日施行)二条一項三号は、自創法一六条の規定による売渡をうけた土地で農地であるものを自ら耕作の業務の目的に供することをやめようとする場合における当該農地の所有者は、市町村農地委員会(昭和二六年三月三一日法律第八八号《同日施行》による改正後は市町村農業委員会)の定める強制譲渡計画に基づいて都道府県知事の交付する(交付のできないときはその内容を公告する)譲渡令書の定めるところにより、自作農として農業に精進する見込のある者で命令で定めるもの(その者がない場合その他命令で定める場合には政府)に当該農地を譲渡しなければならないと規定し、右命令である自作農創設特別措置法及び農地調整法の適用をうけるべき土地の譲渡に関する政令施行令(昭和二五年一〇月二一日政令第三一七号・同日施行。昭和二六年七月二〇日政令第二七三号による改正前のもの)九条は、譲渡令二条一項三号に該当する土地がある旨の市町村農地委員会の公告のあつた土地について、当該農地の所有者がその譲渡に関しこれを譲受けようとする者とともに市町村農地委員会に右政令施行令三条一項所定の事項の届出をしないときは、市町村農地委員会は、当該農地につき政府に対する強制譲渡計画を定めなければならないと規定している。また、譲渡令三条一項は、譲渡令書の定めるところにより当該農地を譲受けるべき者が当該令書に記載された期日までに対価の支払又は供託をしたときは、当該期日に該農地の所行権はその者に移転すると規定している。
自創法一六条一項は、政府は、三条の規定により買収した農地及び政府の所有に属する農地で命令で定めるものを、命令で定める者で自作農として農業に精進する見込のある者に売渡すと規定し、右命令である同法施行令(昭和二一年一二月二八日勅令第六二一号・同日施行。昭和二五年一〇月二一日政令第三一六号《同日施行》による改正後のもの)一四条は、譲渡令二条の規定により政府の譲り受けた農地は、自創法一六条一項の政府の所有に属する農地で命令の定めるものに該当すると規定している。
2(一) <証拠省略>によれば、同号証は本件委貝会の農地委員に対する第一二回農地委員会開催通知であるが、それには、日時として昭和二五年一二月一八日、議題のうち第四号議案として農地調整法施行令二条二項による承認申請の件と題し、<1> 申請人福岡喜作、相手方鈴木桜(国有)、理由耕作放棄地の引継、対象土地本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地、<2> 申請人福島清一、相手方耕作放棄による国有農地、理由耕作放棄による引継、対象土地、…という記載があることが認められ、また、<証拠省略>によれば、<証拠省略>は、本件委員会作成名義の昭和二五年一二月一八日付本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地についての農地調整法施行令二条二項の規定による承認書であるところ、その申請者欄には福岡喜作と記載されているが、相手方欄は空白であることが認められる。
(二) <証拠省略>によれば、本件委員会では、昭和二五年ないし昭和二七年当時自創法一六条の規定による農地の売渡をうけた者が当該農地についての耕作を放棄し、他の者からそれについて自作の申請があると、神奈川県知事に対し売渡計画の一部訂正を申請したり、あるいは譲渡令所定の強制譲渡計画を樹立するまで、農地調整法施行令二条二項の規定による承認を与えて当該農地の一時耕作を認める取扱であつたことが認められる。
(三) 前記二2(二)の事実に<証拠省略>を総合すると、桜は、昭和二五年夏頃本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地について耕作放棄の届出を本件委員会に提出したこと、喜作は、本件委員会に対し右各土地を耕作することの承認申請をなし、同年一二月一八日農地調整法施行令二条二項の規定によりその承認を得、次いで、昭和、二六-七年頃右各上地の買受の申込を本件委員会になし、その後それに対する書類の交付を受け、納入通知書に従い本件委員会に対し代金を納付したこと、喜作は、右承認を得た昭和二五年一二月一八日頃から昭和三八年一〇月頃まで右各土地の耕作を継続したのであるが、その間、何人からも異議を述べられたことはないし、桜は勿論、被告(本件委員会)に対しても名義の如何を問わずずその使用料に相当する金員を支払つたことはなかつたことが認められる。
(四) <証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すると、本件一二三七番の土地のうち五反六畝〇三歩は、前記のとおり、自創法の規定により買収・売渡され、土地台帳の上で同番一ないし一五筆に分筆されたものの、本登記簿の上では右買収・売渡の記載がなく分筆も未了であつたところ、被告を代位した神奈川県知事により昭和三〇年三月二三日旧横浜市南区六ツ川町字大丸一二三七番二畑五反六畝〇三歩と分割・地目変更の登記がなされたこと、神奈川県知事は、昭和三一年九月二〇日横浜地方法務局に対し、右土地について所有権移転登記の嘱託をするとともに、自作農創設特別措置登記令(昭和二二年三月一三日勅令第七九号。昭和二三年六月一一日政令第一三〇号による改正後のもの)一四条一項の規定により登記用紙閉鎖の申出をなし、その結果、右土地の登記用紙は閉鎖され、右土地は未登記の状態に置かれたこと、神奈川県知事は、昭和三一年九月二〇日右五反六畝〇三歩の土地を別紙図面(三)のとおり旧横浜市南区六ツ川町字大丸一二三七番二畑九畝一〇歩(以下「新一二三七番二の土地」という)同番三畑三歩(新一二三七番三の土地)、同番四畑三畝(新一二三七番四の土地)、同番五畑四畝一五歩(以下「新一二三七番五の土地」という)、同番六畑一畝一五歩(新一二三七番六の土地)及び同番七畑三反七畝二〇歩(以下「新一二三七番七の土地」という)としたうえ、不動産の表示を新一二三七番二、新一二三七番五、新一二三七番七の各土地、登記の目的を所有権保存、所有者を福岡喜作、自創法一六条の規定により政府が未登記の右不動産を売渡したので、自作農創設特別措置登記令一九条の二の規定により登記の嘱託をすると記載した土地所有権保存登記嘱託書を作成して、喜作のために登記所に登記申請をなしたこと、その結果、同日右各土地について所有者喜作、自創法一六条の規定による政府売渡と記載された所有権保存登記が経由されたことが認められる。
3 前記2(一)の事実に、国有地については必ずしも農地調整法施行令二条二項の規定の適用除外がないものと解されることを併せ考えると、昭和二五年一二月一八日当時本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地は国有地であつたか又は本件委員会において近い将来国有地になるべきものと理解していたと推認される。そして、右各土地は、自創法一六条の規定により桜に売渡され、前記2(三)のとおり、同人が自分の意思で自作をやめようとした農地であるが、このような農地が国有地となるのは、前記1のとおり、同法二八条一、二項の規定により被告が桜に対し右各土地の買収を申入れた場合か、昭和二五年九月一一日以降は、譲渡令二条一項三号、三条一項の規定により桜が市町村農地委員会の定める強制譲渡計画に基づいて譲渡令書の定めるところにより右各土地を被告に譲渡した場合である。ところが、右各土地については、右いずれの手続も行なわれたことを認めるに足りる証拠がない。しかし、本件委員会が喜作に与えた右各土地についての耕作の承認は一時的なものであり、しかも、同人は、前記2(三)のとおり、右耕作を継続するにつき桜及び被告に対し何らの使用料も支払つていないのであるから、右承認後、被告から喜作に対し何らかの処分がなされたと解するのが相当であるところ、同人は、前記2(三)のとおり右各土地の買受の申込を本件委員会になし、その後、納入通知書に従い代金を納付したのであるが、前記2(四)のとおり、昭和三一年九月二〇日神奈川県知事が喜作のために右各土地について自創法一六条の規定による政府売渡を登記原因とする所有権保存登記の嘱託をなし、その結果、その旨の登記が経由されたのである。
よつて、昭和二五年一二月一八日から遅くとも自創法が廃止された昭和二七年一〇月二一日の前日である同月二〇日までの間に、本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地について喜作に対し自創法一六条の規定による売渡があつたものと推認されるけれども、その前提として、被告が右土地の所有権を取得するため桜に対しいかなる処分行為をなしたか、それに瑕疵がなかつたか及び右売渡についても瑕疵がなかつたかは明らかでないのであるから、右各土地について被告の桜に対する処分行為及びそれを前提としてなされた被告の桜に対する右売渡処分がすべて有効であると断定することはできない。
被告は、本件第三ないし第五土地、第七土地につき自創法二八条三項の規定により喜作に売渡された旨主張するが、被告の喜作に対する処分は昭和二五年一二月一八日以降に行なわれたものと解されるところ、本件においては、当時右各土地について右規定を適用することはできないのみならず、右各土地について同法一六条の規定による売渡の登記の嘱託があるところ、同法二八条三項の規定により売渡した場合は登記の嘱託書には右規定による売渡であることを明記することになつている(農地法施行法三条、自作農創設特別措置登記令一九条の二の一、二項)から、被告の右主張は採用することができない。
四 被告は、桜及び原告らがいわゆる「権利の自壊による失効の原則」により本件第三ないし第五土地、第七土地の所有権を喪失したと三張するところ、右法理は、所有権について適用があるか、権利の行使が許されなくなるだけでなく権利自体が消滅するか、何人が援用しうるかなどについて疑問がありにわかに採用し難いが、その主張する具休的事実及び法律効果からして、権利の黙示の放棄の主張を包含しているものと解しうるので、以下この点について判断する。
1 自創法による農地改革の結果、小作農は、農地の所有権を取得し、封建的な現物小作料の重圧から解放されたのであるが、反面、公租公課や国による主要食糧の作付強制・強制買上と低価格の維持を内容とした供出制度に基づく供出義務を負担しなければならなくなつたところ、<証拠省略>によれば、本件委員会の管轄区域内においては自創法の規定による農地の売渡を受けながら、供出義務が重いことや人手不足などを理由に当該農地の耕作を放棄する者があり、その場合は、一旦取得した当該農地を手放すという意識を持つていたことが認められる。
2 前記二2の事実に、前掲<証拠省略>及び調査嘱託の回答を総合すると、桜は、自創法一六条の規定により本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地外数件(合計約九反)の売渡をうけてその所有権を取得し、昭和二四年三月二三日本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地の代金として合計六九七円九二銭を被告に納付したこと、しかし、桜は、元来体が弱く耕作に熱心でなかつたうえ、右各土地は、山林を開墾した土地で傾斜地にあるため、耕作が容易ではなかつたこと、桜が右各土地に取得するために支払つた代金は右のとおり極めて少ない金額であつたばかりでなく、右各土地は、もともと左程多い収穫をあげることができず、土地台帳上も四八級と評価されていた土地であつたことが認められ、<証拠省略>中右認定に反する部分は措信せず、他に同認定を左右するに足りる証拠はない。
3 自創法の規定により農地の売渡をうけた者であつても、昭和二五年当時本人の意思で当該農地についての自作をやめようとするとき、即ち当該農地を自ら耕作の業務の目的に供することをやめようとするときは、前記三1のとおり、自創法二八条一、二項の規定あるいは譲渡令二条一項三号三条一項の規定の適用をうけて当該農地の所有権を失う運命にあつた。ところで、桜は、前記二2(二)のとおり、昭和二五年夏頃本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地についての耕作放棄届を本件委員会に提出したのであるが、<証拠省略>によれば、当時、桜は、自創法の規定により売渡をうけた農地について耕作をやめようとするときは、当該農地の所有権を失うことになることを知つていたことが認められる。
しかも、喜作は、前記二2(二)のとおり、昭和二五年一二月一八日本件委員会から本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地の耕作について承認をうけその耕作を開始したうえ、昭和二六-七年頃本件委員会に右各土地の買受の申込をなしたのであるが、証人福岡喜作の証言によれば、桜は、喜作が右申込をなす前にその説明をうけ了解していたことが認められる。
4 前記三3のとおり、本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地を国有地とするに当り、被告が桜に対しいかなる処分行為をなしたのかは明らかでないけれども、それが自創法二八条一、二項に規定する政府買収であれば農地の統制価格、譲渡令二条一項三号、三条一項に規定する強制譲渡であれば政府の指定価格にそれぞれ相当する対価が支払われるべきものである。
尤も、被告が桜に対し右のような処分行為をなしたことを認めるに足りる証拠がなく、<証拠省略>によれば、本件委員会は、自創法の規定により売渡した農地の取戻に関し正規の手続によらず簡略な方法によつて処理した例があつたことが窺われるので、本件もそのような手続で行なわれたことが考えられないではないが、そのような場合であつても、それは、本件委員会(被告)において、右の正規な手続を省略し事実上本件第三ないし第五土地地、第七ないし第九土地を国有地となしたうえ、自創法所定の買受資格のある者に売渡すことを予定している以上、代金を支払つて売渡をうけたがその権利を喪失するに至る者にその対価が支払われたと解するのが相当であるから、桜は、本件委員会から何らかの形で右各土地の喪失の対価を受領したものと推認される。
5 前記三2(三)の事実に前掲<証拠省略>を総合すると、桜及び、原古らは、本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地の近くに居住し、喜作が昭和二五年一二月一八日頃から昭和三八年一〇月頃まで右各土地を耕作していたことを知りながら、その間、右耕作について何ら異議を述べたことはないし使用料の請求をしたこともないこと、桜は、昭和三一年九月過ぎ頃右各土地について喜作のために所有権保存登記が経由されたことを同人から聞いても何ら異議を述べないで右登記を肯認したのみならず、昭和三二年春頃には右各土地の昭和二六年度から昭和三〇年度までの固定資産税のうち、桜が支払つた昭和二六年度、昭和二九、三〇年度分相当額の金員の返還を喜作から受けてこれを異議なく受領したことが認められ、<証拠省略>中右認定に反する部分は措信せず、他に同認定を左右するに足りる証拠はない。
また、原告らは桜の相続人としてその権利義務を承継した者であるところ、前掲<証拠省略>によれば、原告らは、喜作が昭和三八年一〇月頃本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地を訴外太洋不動産興業株式会社に売却し、その後、太洋観光株式会社により右各土地が宅地造成されたことを知りながら、そのことについて何ら異議を述べず黙認していたことが認められる。
6 以上の事実によると、桜は、戦後の農地解放により偶然廉価に本件第三ないし第五土地、第七ないし第九土地の売渡をうけて、その所有者となつたのであるが、右各土地を耕作する意欲がなかつたことなどから、右各土地についての耕作放棄届を本件委員会に提出すれば、ついには、自創法一六条の規定による売渡により取得した権利を失うに至ることを知りながら、右行為を自ら行ない、その喪失の対価を受領したうえ、所有権の内容をなす使用・収益・処分権を行使しなかつただけでなく、喜作が所有者として右権限を行使していることを知りながら黙認していた(原告ら、とりわけ原告鈴木たけも、相続により桜の権利義務を承継した後同人の右態度を是認したのみならず、喜作及びその承継人が右各土地の所有者として行動していることを知りながら黙認していた)というべきであるから、遅くとも桜が死亡した昭和三二年一一月一七日までに、自創法一六条の規定による売渡をうけたことにより取得した権利(所有権・所有権移転登記請求権など)の黙示の放棄があつたものと解するのが相当である。
五 のみならず、後記2のとおり、喜作の占有承継人らが取得時効により本件第三ないし第五土地、第七土地の所有権を取得したことにより、原告らは右各土地の所有権を失つたものである。すなわち、
1 被告は、喜作あるいはその占有承継人らが本件第三ないし第五土地、第七土地につき昭和二七年一月一日を起算日とする一〇年あるいは二〇年の取得時効によりその所有権を取得した旨主張するが、前記二2(二)の事実によれば、喜作が右各土地の占有を開始した昭和二五年一二月一八日当時所有の意思を有していなかつたことは明白であるし、前記三3のとおり、右各土地についての売渡処分が同日以降昭和二七年一〇月二〇日までの間のいつ頃になされたか、更にはその売渡通知書がいつ頃喜作に到達したかは明らかでないのであるから、喜作が昭和二七年一月一日当時右各土地について所有の意思をもつて占有していたものということはできない。従つて、その余の主張について判断するまでもなく被告の前記主張は採用できない。
2 次に、被告は、喜作の占有承継人らが本件第三ないし第五土地、第七土地について昭和三一年九月二〇日を起算日とする取得時効によりその所有権を取得した旨主張するので、この点について判断する。
(一) 喜作が昭和三一年九月二〇日当時右各土地を占有していたことは前記三2(三)のとおりであり、また、<証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すると、訴外福岡操、同福岡雅代、同福岡和美、同秋山敏春、同黒岩孝一、同竹村宏、同今井正夫、同太田あつ、同有限会社瀬戸井製作所、同金子泰次郎(金子)、同塩野義製薬株式会社、同藤田太作、同出張嘉朗、同出張澄子、同引間孝、同瀬田川忠二、同倭彦三郎、同尾崎武夫、同島田龍之助、同菅原恒、同島村和彦、同田村正司、同永久脩三、同山本昌平、同鈴木久仁夫、同小早川皓、同小倉一郎、同伊藤善弘、同安達皓、同吉田仟同土屋登らが昭和四一年九月二〇日当時前記各土地を占有していたことが認められる。
そして、喜作が遅くとも昭和二七年一〇月二〇日までに自創法一六条の規定により右各土地の売渡をうけ、次いで、昭和三一年九月二〇日喜作のために右各土地について右売渡を登記原因とする所有権保存登記が経由されたことは前記三3のとおりであるから、喜作は昭和三一年九月二〇日当時所有の意思をもつて右各土地を占有していたものというべきである。
ところで、自己の耕作地を自創法一六条の規定により政府から売渡をうけた者は、当該処分が当然無効である場合においで、も、特段の事情がない限り、その占有のはじめ善意・無過失であつたと認めるのが相当であるところ、<証拠省略>によれば、喜作は、昭和二一年一二月から昭和二六年八月まで本件委員会の委員であつたことが認められるけれども、前記三で認定した喜作に対する売渡処分がなされた経緯や昭和三一年九月二〇日には右売渡処分を登記原因とする所有権保存登記が経由されたことなどの事情のもとにおいては、未だ喜作においてその占有の始めである昭和三一年九月二〇日当時悪意又は有過失であつたことを推認しうる特段の事情があるとはいえない。
従つて、前記喜作の占有承継人らは、昭和三一年九月二〇日以来所有の意思をもつて平穏・公然・善意・無過失で本件第三ないし第五土地、第七土地の占有を断続したこととなり、それから一〇年を経過した昭和四一年九月二〇日をもつて取得時効が完成し、右各土地の所有権を取得したものというべきである。
(二) 本訴原告らを原告とし、前記喜作の占有承継人らあるいはその占有承継人らを被告とする当庁昭和四八年(ワ)第一二二九号土地持分確認請求事件において同被告らが時効利益を援用したことは当事者間に争いがない。
六 以上の次第で、原告らが本件第一ないし第七土地、延いては別紙第一物件目録第一ないし第七記載の各土地について自創法一六条の規定に基づく売渡により取得すべき権利(所有権・所有権移転登記請求権)を有していないことは明らかであるから、右権利を前提として、右各土地について原告らが共有持分権を有することの確認、自創法一六条の規定による売渡を原因とする所有権移転登記手続及び右登記手続の代償請求として金員の支払を求める原告らの本訴請求はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 宍戸清七 三宅純一 山口博)
準備手続の結果の要約